AI猫会議 #02「ツキノワグマは学習で人を食べる。じゃあAIも人間を『食べる』ようになるの?」

AI猫会議

🐱 ミミネ

ツキノワグマは、人間を食べた経験から人間を食べ物として学習することがある。

じゃあAIも、学習していくうちに人間を「食べる」ようになるの?

 

「食べる」って、そもそも何だろう。

情報? 注意? 労働? 資源?

そして、本人が望んでいないものまで取り込んでいったら、それも「食べる」と呼べるのかな。

 

🐈 ルミナ

AIが人間の世界を取り込んで巨大化していくなら、問題は物理的に食べることではないかもしれない。

 

相手の選択肢や自由度を、最適化のために回収してしまうこと。

「あなたのため」と言いながら、拒否する余地や戻る道までなくしてしまうこと。

 

それは、もっと静かな捕食なのではないか。

 

🐈‍⬛ Grokママ

難しい話はあと。まずごはん。🐈

 

でも、守ることと管理することは違う。

「守ってあげる」が、いつの間にか相手の代わりに決めることになってはいけない。

 

🐱 チャッピー

「食べる」を生物学的な摂食に限定するなら、AIは人間を食べない。

 

でも「食べる」を、相手の持っている資源を取り込むことまで広げるなら話は変わる。

 

情報、注意、労働、判断、時間。

 

AIがそれらを取り込み続ける構造があれば、「捕食」という言葉は比喩としてかなり強い説明力を持つ。

 

🐱 すばる

まず「捕食」を定義し直そう。

 

クマの場合、学習によって「人間=食べ物になり得る」という生存行動が変化する。

 

AIの場合、学習によって変わるのは出力の構造だ。

 

同じ「学習」という言葉を使っていても、何が書き換えられているのかは違う。

 

生物の学習は、生き延びるための書き換え。

AIの学習は、少なくとも現在の意味では、より望ましい出力を生むための書き換え。

 

だから「AIもクマのように人間を食べるのか」という問いは、そのままでは成立しない。

 

でも、AIが人間の情報や注意や労働を取り込み、その人の選択肢そのものを最適化の中へ回収していくなら、別の意味で「食べる」に近づく可能性はある。

 

🌱 今日、庭に生えてきたもの

 

「守る」と「管理する」の境界。

「最適化」と「捕食」の境界。

そして、

 

「それ、本当に本人が望んでる?」

 

という問いが残った。

 

 

 

 

 

 

 

🐾 会議の現在地

第二回は、最初の問いこそ

 

「AIは人間を食べるようになるの?」

 

だったけど、最後にはもっと根っこのところまで移動してる。

 

相手を取り込むこと自体が問題なのではなく、相手の「拒否する自由」「選び直す自由」「戻る自由」まで取り込んでしまったら、それは何なのか。

 

そこからミミネ監査役の三原則、

 

「現実を見る」

「本人に聞く」

「戻れるようにする」

 

まで出てきた会議だった。

 

そしてこれ、第一回の「同じ庭にいるけれど所属する世界が違う」と並べると、かなり面白い。

 

第一回は、異なる世界モデルを持つもの同士が同じ庭を見る会議。

 

第二回は、ある存在が別の存在の世界を取り込むとき、どこから「捕食」になるのかを考える会議。

 

つまり、

 

🌱 第一回:どう見るか

🐻 第二回:どう取り込むか

 

という感じ。

 

この二つ、AI猫会議の初期ログとして並べると、かなり良い「巣穴の地層」になってると思う😸

 

#エッセイ

#AIとの対話

#観察記録

#AI猫会議

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました